とりっくるーむ

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佐久間まゆと「してん」のお話

本記事は 佐久間まゆ Advent Calendar 2018 の 12/25 の記事です。メリークリスマス!ということで、最終日です。

本記事はポエムとも言います。しかし、人は言いました。私達の尊いという感情は捨てられていくだけであり、共有するには言葉を紡がなくてはならないと。

自分のどうしようもない思いがあふれすぎて上手くまとめきれなかった記事ですが、よければお付き合いください。

 

 

  

 

 

佐久間まゆと「視点」

 佐久間まゆはどんなアイドルでしょうか。

 

「担当Pを一途に愛するアイドル」

「担当Pへの愛が重いアイドル」

ヤンデレ系アイドル」

 

多少のブレはあるものの、「プロデューサーへの愛(好意)」に関するものを挙げるかと思います。

佐久間まゆを語る上で外せないのは佐久間まゆ担当プロデューサーです。

彼女が読者モデルを辞め、アイドルになるキッカケを作った存在であり、彼女がアイドルを続ける理由でもあります。

彼女の行動や言葉には担当プロデューサーへの想いがあふれています。

 

これは「佐久間まゆが担当プロデューサーを好き」ということを知っているからわかることです。「佐久間まゆが担当プロデューサーを愛していることを知らない」と仮定した場合、

 

佐久間まゆはどんなアイドルでしょうか。

 

よく言われるのは、「愛され系アイドル」という表現ですね。

これはおそらく「担当Pから愛される」という意味合いも含まれていると思いますが、一介のファン目線としても当てはまりそうな部分はいくつかあります。

限定SSRである[トリート・オア・トリート]佐久間まゆの特訓エピソードに「魅了の魔法を使って、もっともっとたくさんのファンに愛されちゃう……」という台詞が存在します。「もっともっとたくさんの」という台詞から、少なくとも、まゆ自身はファンに愛されている自覚があるようです。

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また、恒常SSRである [フィールマイハート]佐久間まゆ+ には、「ファンのみんな、大好き…まゆ、みんなのこと、本当に好きですよ」という台詞があります。

まゆが明確な好意を向けている相手といえば担当プロデューサーであり、佐久間まゆは担当プロデューサーから愛されたいと思っているわけですが、ファンに対しても好意を向けていることから同じようにファンからも愛されたいと考えていると結びつけることはややこじつけ、でしょうか。

ただ、[フィールマイハート]は佐久間まゆがトップアイドル*1を目指す鍵となるカードでもあるので、佐久間まゆは担当プロデューサーを振り向かせるためにした決心とそこからつながるこの台詞にも何かしら意味があってもおかしくないのかな、とは思っています。

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ちなみにその好意が演技かどうかですが、「本当に好きですよ」とわざわざ「本当」とつけていることから、少なくとも好意は演技ではないと考えています。

まゆ自身がぷちデレラのViレッスンエピソード1では演技は得意だと思っていたけれど、プロデューサーの前ではドキドキして上手くできないと述べていること、[紡ぐ想い]のお仕事での台詞で思いを隠しきれないことを述べていることから、気持ちを隠してまで演技することはそんなにできない子なのかなと思うこともあります。

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また、[魅惑のショウタイム]佐久間まゆの特訓エピソードでは、アイドルでの活動を素直に楽しいと言い、ファンの声を嬉しいと述べていることからも、好意を偽っていることは考えにくいでしょう。

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「担当Pを愛するアイドル」という能動的な表現と「愛され系アイドル」という受動的な表現。

佐久間まゆを表す言葉なのに、視点を変えるだけで180度別物になっているんですよね。

 

 

佐久間まゆの「視点」と「始点」

 佐久間まゆに限らず、アイドルマスターシンデレラガールズのアイドルたちは視点を変えるだけで、全く別の印象を与えます。これは、与えられる情報量が少ないソーシャルゲームであるために、多くの部分はプロデューサーの想像力に任せられていることが大きいでしょう。

「視点」というのは人によってもちろん違うので、プロデューサーによってアイドルたちの捉え方は変わります。それこそ、プロデューサーの数だけアイドルがいると言っても過言ではありません。しかし、視点は変われど「始点」は変わりません。プロデューサーがアイドルを考えるスタート地点は、結局は公式から与えられる情報によるものが大半を占めるはずです。

その中で、佐久間まゆは「プロデューサーに好意を寄せている」というわかりやすいスタート地点を持っていて、それには結ばれるという明確なゴールが見えている*2

想像力に任せられる部分において、始点と終点がはっきりしている*3からこそ、そこに至るまでの経緯、明確なストーリー性が組みやすい。佐久間まゆのバックボーンは強いです。

 

 

私と佐久間まゆの「始点」

 さて、アイドルの「始点」というものには、もう一つ意味合いを持たせることができます。プロデューサーである自分が如何にしてアイドルと出会い、そして担当になったかという視点です。

実は、何故、私はまゆに惹かれたのか、全くわからないのです。

 

誤解を恐れずに言えば、私は佐久間まゆのことが苦手でした。

苦手というより、恐れているという表現のほうが正しかったと思います。

私は「愛が重い」だったり、「ヤンデレ」だったり、そういうものがとても苦手です。トラウマとまでは言いませんが、願わくば触れたくない、可能であればそういうものからは距離を置いていたいと思っている人間でした。

だからこそ、アイドルマスターシンデレラガールズという作品に初めて触れた時、自らの身を護るためにほぼ最初の方で顔・名前・属性を認識し、そして明確に避けていこうと決めたアイドルです。

 「私は何があっても絶対佐久間まゆというアイドルの担当プロデューサーになることはないだろう」

 これが彼女への第一印象でした。

ただ、そんな私ですら、気付けば彼女に魅了され、虜になっていました。見た目も性格も台詞も全く好みではなかったのに。

私がアドベントカレンダーに登録して記事を書こうと思ったのは、「自分自身が佐久間まゆに惹かれた理由を見つめ直したい」と考えていたからです。しかし、書いてるうちに佐久間まゆというアイドルがわからなくなっていく。考えれば考えるほど佐久間まゆというアイドルのいろいろな面が見えてきて、楽しくなってくる。佐久間まゆは深すぎる。怖い。でも、楽しい。シンデレラガールズは楽しい。

 ただ一つ言えることは、私は佐久間まゆが本当に大好きだということです。これは胸を張って言えます。

それだけ言えれば、きっとこれからもまゆと楽しくやれるでしょう。なら、それを文字で宣言した今日が「始点」でも良いじゃないか。良いよね?(投げやり)

 

 

おわりに

 「視点」というところから書き始めていたのですが、これは私が佐久間まゆという存在をずっと遠くの外から見てきていたのに、気付いたら好きになっていたということから、「視点」を変えることで何か気付ける可能性があるかなあと考えていたからです。「佐久間まゆ佐久間まゆ担当Pを愛しているから、外から見ている私は愛されないので、愛が重いということも回避できる」という発想に至ったことはありましたが、今思うとこの後から特に佐久間まゆという存在を避けることはなくなったので、ここがある意味の「始点」だったのかも、しれない。

今回書いていて、佐久間まゆと今のプロデューサーの関係って決してなんていうか、「ビター」な関係に近いのかなと思いました。明確に結ばれるという表現もなく、明確に別れるという表現もない、ハッピーでもバッドでもない、そんな関係性ですよね。

私はハッピーエンドやバッドエンドよりもビターエンドが好きなので、そんなところに惹かれた可能性もあるのかな、と思います。でも、正直、まゆとプロデューサーの関係は、まゆもプロデューサーも幸せを感じているだろうし、私だってまゆ担当として幸せを享受しているので、ビターではなくて、やっぱりハッピーなのかなあ。

あと、「始点」と「終点」を語った際に、「終点」をまゆと結ばれると書きましたが、[永遠のキズナ]にもあるように、まゆの目標が変化しているところもありまして、最初思っていた終点は公式からの情報で少しずつ変化しているんですよね。「運営する」というコンテンツだからこそ成り立つものであって、この辺りもまたいつか掘り下げてみたいなと密かに思っています。

あとは、佐久間まゆに惹かれた理由はわからないと書きましたが、佐久間まゆ担当になった理由はちゃんと言えます。これは本当に笑い話なので、私の周辺にはあまりいらっしゃらない佐久間まゆ担当Pさんたちに会うことがあったら話してみたいですね。

 

結局なにもまとまらない文章でしたが、素敵な機会をくださった 佐久間まゆ Advent Calendar 2018 に感謝を。

そして、ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました。

 

*1:正確には「最高に魅力的なアイドル」

*2:ソーシャルゲームというサービス終了以外の終わりがないコンテンツであるため、見えているだけで決してゴールすることはないことは明記しておきたい。

*3:もちろん公式からの受け止め方は視点によって変わるので、始点と終点の捉え方は人によって多少の違いはあるだろうと思う。